こんばんは。
牛島です。
今回のテーマは、
「当たり前の基準は人によって違う」
です。
このテーマにした理由としてはこのようなツイートがあったからです。
アカキンさんの「当たり前」についてのツイート。
私がいつも周囲に言ってることと同じで共感。
当たり前の価値観って世間では多数決が多いけど、実際はそんなことないと思います。
人によって当たり前がちがう。
好き嫌いがあるのと似たようなものです。 https://t.co/NZ7CXnm2TS— としひこ@ブログ5ヶ月連続更新中 (@TOSHIHIKO4444) June 10, 2019
いつもツイートで元気をもらっているアカキンさんのツイートです。
以下引用
当たり前の基準を変えよう
自分にとっての当たり前が
相手にとっての 当たり前とは限らない
受けた教育も 生まれた環境も全く違う
だからこそ考え方は人それぞれだ
自分と違う考え方の人を認めず
批判したり暴言を吐くのは
器が小さすぎる
そんな人達に
絶対に負けてはいけない
引用終わり
私もいつも思っていることですし、周囲にも言っていることだったので非常に共感できたこのツイートをテーマにしようとおもいました。
それでは行きます。
当たり前って言葉結構使いますか?
皆さんは当たり前って言葉ふだん使いますか?
大多数の方が無意識レベルで使っているのではないでしょうか?
例えば、
下着をつけるのは当たり前。
服を着るのは当たり前。
新入社員はスーツが当たり前。
上司のいうことを聞くのは当たり前。
残業するのが当たり前。
勉強するのが当たり前。
学校行くのが当たり前。
などなど。
出したらキリないですが、いろんな当たり前という言葉を耳にします。
当たり前ということを改めて考えて見ましょう。
今回皆さんに伝えたいことは、「当たり前」という言葉について本当にそうなのか?
ということです。
「新入社員はスーツを着るのが当たり前」
を例にとると、
日本の半数以上がスーツを来て入社式に行くかもしれませんが、服装が自由な会社も最近は増えてきています。
これって、「スーツを着るのが当たり前」じゃないということになります。
行きてきた環境や目指しているもの、入社する会社やその人のスタイル、考え方など様々な要素で「一個人の当たり前」ができていきます。
人によって当たり前が違ってくるということです。
自分の当たり前を相手に押し付けるのはやめよう。
自分の当たり前を一般常識だという人がいますが、それは違います。
世界が変われば常識も考え方も変わります。
人が変われば全てが変わります。
皆さんはいろんな考え方や思考術、生き方を持っています。
そんな違いが多い中、相手に自分の当たり前を押し付けていませんか?
「牛乳嫌いな人意味わからない」
「仕事しないやつ頭おかしいのか?」
とか。
牛乳好きな人は牛乳好きなのが当たり前。
嫌いな人は嫌いなのが当たり前。
互いに押し付けても意味はありません。
仕事している人はするのが当たり前。
しなくていいひとはしないのが当たり前。
それぞれの当たり前があります。
互いの意見を尊重し合うのが一番だと私は考えます。